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口ほどにもない奴 ANNEX 【おことわり】管理人が不適当と思うコメントやトラックバックは予告なく削除します。ご了承ください。

きりう
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紅の豚ではなく・・・

空も飛べるはず、なのである。

移転前のブログサイトでは1度記事にしたことがあったんだけど、こっちに移ってからは書いたことがなかったのでね。

わたくし、パラグライダー乗りだったのである。
もう20年近く経つのか・・・時が流れるのってほんとに速いな。

見よ、この雄姿。
パラ01

晴れた空を見上げながら、しばし思い出に浸った今日なのであった。
あー、久しぶりに飛びたいなぁ。(って、もう道具もないし無理だけどね。)
回想 | 投稿者 きりう 17:40 | コメント(2)| トラックバック(0)

夏休みの宿題

息子の夏休み、今年は少し短い。
今日からちょうど1週間後の火曜は、2学期の始業式だ。
校舎に冷房設備が入って暑い中での授業がなくなったからなのか、ゆとり教育の反省で授業時間を増やそうとしているからなのか、はたまたその両方なのか、理由は定かではないが、とにかく例年よりも1週間の短縮である。

となれば、当然、いまこの時期は宿題の追い込み中。
ワタシが夏季休暇を今週に設定しているのも、実はそれを見越してのことだったりするのですね。
思えば1年前の最終日は散々だったわけで。(家族総がかり?)

さすがに今年はその教訓が生きたか、本日時点で残っているのは自由研究のみである。
それも、一応はテーマを決めてあり、ある程度の下準備もしてある、との息子の弁。
ほほー、それならもはやお父さんの出番はなしか?と一瞬だけ期待したのだが、さにあらず。
その準備状況を見せてもらうに、おいおいと。

結局、なぜか資料集めに走っている今日のワタシなのである。
なのに、本人は、相方と一緒にお出かけ。
以前からの約束で相手のある話、断れないらしい。なんだよそれ。ベー

まあ、仕事に比べればどうってことないからいいんだけど。
なんとかネタもそろったので、明日まとめる予定である。
あ、もちろん本人が、ね。

四葉クローバー四葉クローバー四葉クローバー四葉クローバー四葉クローバー四葉クローバー四葉クローバー四葉クローバー

さて、夏休みの自由研究といえば、ワタシ自身、忘れられない思い出がある。
あれは確か、中学1年のとき。
社会科の宿題で、自由研究があった。
1学期に学んだのは日本の地理だったので、その関連の研究をする生徒が多かったと思う。
記憶が定かではないが、ワタシもご多分に漏れず、無難な内容のレポートを書いて提出したはずだ。

ところが、どこでどのような手違いがあったのか、ワタシの作品がクラスの中での特別賞になったとかで、教室の後の掲示板に張り出されることになった。

驚いたねえ。びっくり
自分の書いたレポートは、教科書の要約と百科事典からの一部丸写し、どう見ても手抜きがバレバレという代物。
何がどうしてどうなったらそんなことに?
嬉しいというよりひどい困惑をしたものだった。

翌日だったか、社会科の先生が授業を終えたのち、件の優秀作品たちを張り出した。
固唾を呑んで見守るワタシ。
そして、ついに張り出される特別賞作品。

模造紙いっぱいに日本地図。地図
47都道府県の境界線がきれいに区切られている。
これだけでも結構な力作。(自分で言うなよ。笑)

そして、各都道府県から吹き出しで説明の記述。
結構、細かに書いてある。
表なんかも入っていて、確かに見栄えはいい。

タイトル「全国高等学校野球選手権大会・優勝校分布」

ちょっと待て、特別賞って、これかよ。冷や汗

実はこれ、2学期の中ごろに開催される文化祭用に作成したもの。
クラス出し物のテーマが「スポーツの秋!大博覧会」と決まったのは、1学期の終わりことだった。
大掛かりなセットものを作れるだけの時間を確保するなら、早くから準備した方がいいよね、ということで夏休み前から取り掛かったものだ。
ワタシ自身は、そうしたメインの仕掛けものにタッチするでもなく、隅っこにこっそり展示することを目論んで、シコシコと日本地図を書いていたのだが…

どこかで自由研究に化けてしまったワタシの文化祭用出展作品。

もちろん、この結果を受けて、別の展示物をもうひとつ作成しなければならなくなったのは言うまでもありません。

「複雑な気分」とはこういうものか、と知った中1の夏でした。
って、気づけばもう30年も前なんですね。あーやだやだ。やっちゃったぁ
回想 | 投稿者 きりう 21:37 | コメント(0)| トラックバック(0)

冬が来ると思い出す

学歴上、高校卒業と大学入学の間に1年のブランクがある。「浪人」というやつだ。高三の受験時に「全部落ちても予備校になど行かせない」と親から言われていた。今思えばこれは、現役で合格しろ、という意図だったのだろう。が、きれいに全部落ちたので(苦笑)、浪人せざるを得なくなった。で、本当に予備校に通わず、自宅で一年間勉強して翌年に合格した。これまた今思えば、独学の方が自分の性格に合っていてかえって良かったのだろう。長めの計画を作ってそれを着実にこなしていくことに喜びを感じるタイプだからね。で、冬が来ると何を思い出すかというと、その浪人時代のちょうど今ぐらいの季節から、生活リズムを変えたこと。それまでの夜型から朝型へのシフトである。当時、受験会場まで1時間半以上かかる場所にある実家に住んでいた。このため、試験当日は、かなり早めに家を出なければならない。そうした、早朝からの行動に慣れる必要を感じてのことだった。で、どうしたかというと、それまでの朝8時起床を4時半起床に変更したのだ。なんと極端な、とお思いでしょ? どっこい、ちゃんと理由はあるのですね。旺文社のラジオ講座、というのがあって、これを受験勉強のペースメーカーにしていたのだが、NHKラジオの夕方に放送されていたこの番組、ラジオたんぱが同じ内容を超早朝に流していたので、こっちに切り替えたわけ。一人ぼっちの受験勉強って、意外とこういうのが大事なんだよね。***********冬の4時半って、当然に真っ暗。んでもって、めちゃくちゃ静かで、かつ、すっごく寒い。無理矢理起きて、ストーブをつけて、コーヒー飲みながらイヤホンでラジオを聴く。終わったら、「試験に出る英単語」か「英文法頻出問題演習」。その後、「必修漢字1200選」と「一問一答日本史」。そんなことをこなしていると、だいたい空が白みはじめる時間になっていく。朝食を食べて、休憩。「英文解釈教室」を眺めた後、本番入試と同じ時間帯で英語の過去問を解く。昼食の後も、やはり本番と同じ時間進行で国語と日本史の過去問。その後は「現代文要説」、「古文読解教則本」、「日本史演習ノート」・・・。***********がんばってがんばって、第1志望のワセダに合格した。お世辞にも進学校とはいえない新設の県立高校を卒業したきりうとしては上出来である。嬉しかったな。懐かしいな。今は、ウォーキングのために早起きをする毎日。ドアを開け、歩みを始めるその前に、ふと受験時代のあの頃を思い出す。そんな季節が、この冬の始まりの時期。************今年も残すところ、あと20日ほどですな。もう少し、がんばりましょう。(オチなしでごめん)
回想 | 投稿者 きりう 22:37 | コメント(0)| トラックバック(0)

役者の存在感

昨日の記事で「ザ・マジックアワー」のレビューを書いたが、それがきっかけで思い出したことがある。

きりうは西田敏行さんと共演したことがあります。(^^)v

大学生のとき、テレビドラマのエキストラをアルバイトでやったのね。
エキストラだから、何十名だったかそれなりの数がいたわけなんだけど。
その大勢の中から、たまたまカントクのご指名をいただいたのである。

いや、「ご指名」ではかなり不正確かな。
じゃ、そこのキミ。」って言われただけで、名前は呼ばれてないからね。(笑)

そのドラマは、主演の西田敏行さんが脱獄囚という設定。
うまく逃げ延びて、その後は真面目に働き、やがては社長になるというストーリーだった。
タイトルは、「社長さんは脱獄囚」(1989年 TBS 月曜ドラマ)
西田敏行さんの公式サイトにも載っている。

で、きりうが共演したのは、脱獄して間もない西田敏行さんがクルマで逃走中、検問にひっかかるというシーン。
西田敏行さんは職務質問をうまく誤魔化して検問を逃れる。
きりうは、その背景で取調べを受けている若者の役。
もちろんセリフなんかないけど、約10秒間、同じ画面に映ってました。
(今でも悔しいのが、これをビデオに撮っておかなかったことだよなあ。くぅ~。)

***************

もう20年近く前の話なので記憶が美化されているきらいもあるが、西田敏行さんの、その圧倒的な存在感が、ものすごく強い印象として残っている。
何というか、役に入り込むと、その場の空気が変わるのだ。
ああ、これが役者さんなんだなあ、と感じ入ったものである。うん、懐かしい。

ちなみに、確か奥さん役だったと思うが、石野真子さんも同じロケ現場にいたのです。
いやぁ、こちらはキレイでした。のみならず、とってもイイひとでした。
ロケ弁を食べようというとき、我々エキストラの分のお茶を自ら入れてくださって。

***************

映画とかドラマとか、そういうものに惹かれるようになった原体験。
学生時代の良い思い出です。


回想 | 投稿者 きりう 00:04 | コメント(0)| トラックバック(0)

遥かなるウインブルドン

ただいま真っ盛りのウインブルドン選手権。
伝統と格式において世界一とされるこの大会は、毎年6月下旬から7月初旬にかけて開催される。

この時期、中高生は一学期の期末試験前なのである。
テニスに興味を持った頃だったから、よく覚えている。
試験勉強かテレビ観戦か、とても悩んだものだ。

ジョン・マッケンローがビヨン・ボルグの連覇を止めた1981年の決勝戦は、見なかった。
期末試験の結果はすこぶる良かったが、なんとなく複雑な思いだった。
ああ、なんとあの大事な試合を見逃してしまったのかー、という感じだったのである。

その反動か、翌1982年の決勝戦は見た。
翌日に控えた期末試験の勉強は、見終わってからやろうということで、とりあえず先送り。

ところがこの試合、5セットマッチのフルセットにもつれ込む大激戦になってしまった。
手に汗握る展開。一進一退の攻防。
このセットをとれば勝ち、というタイブレークも、マッケンローは取りきれない。
結局、そのセットを制した勢いのまま、ジミー・コナーズが最終セットを取って優勝したのだった。

もう、大興奮。
そんなすごい試合を見た後で、勉強なんかできるわけがない。

テレビ中継が終わったのは、(記憶違いがなければ)確か日本時間午前2時すぎだったと思う。
お子さまだったきりうとしては、通常なら、もう眠くて仕方がない時間だ。
興奮状態だったからしばらくは目が冴えていたが、コナーズやマッケンローのスーパープレイを思い出しているうちに、結局そのまま寝ちゃったわけ。(笑)

そう、「先送り」のはずだったのが、「結局勉強しなかった、一発勝負」に化けちゃったのよ。
へへん、期末テストがなんぼのもんじゃい。そんなのくそくらえだ。
世界を見ろ。数学なんて小さい小さい。
おれはもっと広い視野で勝負をするぜ・・・。

**************

このときの数学の結果は、なんとビックリの5点であった。
ええ、もちろん、100点満点でですよ。(^^;;;
最初の計算問題、確か因数分解が1個あってただけじゃなかったかな。
他の設問は全滅。いやー、潔い。

今になって振り返ると、若気の至りというか、きりうらしくないというか。
こんなことやってて、よく高校卒業できたよね。(^^;

**************

最近は、ここまでのめり込むようなゲームを見かけなくなった気がする。
何か、洗練されすぎていて、ドキドキ感、ワクワク感がないんだよね。
26年前のこの決勝には、そういうのがあふれていたと思うんだけど。
いや、ただ単に、自分が年をとっただけかな。(^^;

ビデオの録画予約なんてシャレたものがまだなかった、古い古いお話なのでした。
昔話で失礼。


回想 | 投稿者 きりう 21:38 | コメント(0)| トラックバック(0)

5月1日

メーデーである。
しかし、思い出すのは、通っていた中学校の開校記念日がこの日だったということ。
労働祭とは直接関係がないんだけどね。(^^;

ちなみに、通っていたのは地元の公立中。
なぜこの日が開校記念日だったのか、今となっては定かではない。
ただ、天皇誕生日(当時)と憲法記念日の間の確実な休みはとても嬉しかった記憶だけがある。

懐かしい感じ。

カレンダーをめくりながら、そんなことを考えた今朝であった。
しっかし、暦どおりだもんなあ。 まったくよく働くよ。>自分


回想 | 投稿者 きりう 20:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

ウォシュレット

食事をしながら読んでるヒトがいたらごめんなさい。
ふと思ったトイレの話。

ウォシュレットって、いつからか標準装備っぽくなっている気がする。
外食産業や百貨店はもちろんのこと、駅や公園などでも、比較的新しい施設のトイレならだいたいついているのではないかと。

実は、きりう自身は、ウォシュレット付きの便器に座っても、長らく利用しないでいた。
お尻がムズムズするような、くすぐったいような感覚が苦手だったのである。
イタしたら、きちんと紙で拭け。それでよいではないか。

でも、今では積極利用派である。
イタしたお尻は水洗いをきちんとして、さらに紙で拭く。キレイ。

その転機は手術。
術後、身体を捻るのが難しく、紙で拭くのが億劫になったため、せめて先に水洗い、と。
ところが、使い始めるとこれが大変具合がよろしい。
そういえば、AIGオープンで来日したフェデラーが、ウォシュレットにいたく感激したなんて話もあったかな。


そんなことを思い出した、息子のぎょう虫検査の朝でありました。

あんまり関係なかったかな。失礼。(^^;


回想 | 投稿者 きりう 19:50 | コメント(0)| トラックバック(0)

筆記用具への愛着

先週金曜、万年筆を買ってみた。
なに、安物である。高級ブランドのプチ自慢をしたいわけではない。
筆記用具にまつわるいろいろなことを思い出した、という話。

******************

初めて万年筆を手にしたのは、中学に入るときだった。
旺文社「中一時代」の年間購読予約をすると、世界のホームラン王である王貞治選手のサイン入り万年筆がプレゼントされるという、いわばオマケの品である。

それでも、万年筆を持つことで、何となく「大人」に近づいた気分を味わえた。

しかし、この王選手の万年筆、あっという間にペン先が使い物にならなくなった。
オマケなりの品質だったせいもあろうが、当時のきりうは筆圧がやたらと強かったのである。
(筆圧が強くなったのも相応の理由があるのだが、そのエピソードは別の機会に。)

で、中学生だったきりうの興味は、シャープペンシルに移行した。
これなら筆圧が強くても大丈夫。(^^)

当時、お小遣いのかなりの部分を筆記用具の購入に充てていた。
シャープペンシルばかり、何本も買ったものだ。
特に、「大人」を感じさせるデザインのものが好きだった。
あれらの筆記用具はどうしたんだろう? みんな捨てちゃったのかな。
大学に入ってまともに使わなくなったせいで、それらの行く末についての記憶が全くない。
(言い訳になるが、きりうの通っていた大学は試験にボールペン使用が義務付けられるというヘンな学校なので、シャープペンシルはあまり出番がなかったといえる。ええホントに。)

会社に入れば、書類はワープロやパソコンで作るものと教えられた。
しかも、安価で使いやすいシャープペンシルやボールペンが会社の費用で提供される。
これでノートやメモをとればいいのだから、筆記用具への関心など何処かへいってしまった。

でも、最近身の回りを見ると、同僚の何人かが、結構良さげな筆記用具を使っている。
会社が購入したものではなく、自前の筆記用具。
特に、万年筆を使っている人がカッコイイ。
何だかわからないが、どうも惹かれる。 オレも使ってみようかな。

******************

購入動機は、上述のとおり、「見た目のかっこよさ」以上のものではない。
だが、使い始めてみると、万年筆で文字を書くってのは、なかなか気持ちがよい。
安物でこれだ。本当に良いものを使ったらさぞや・・・・と思ってしまう。

物欲には終わりがないね。(^^;;;



回想 | 投稿者 きりう 23:44 | コメント(0)| トラックバック(0)

山手トンネル

たかだか1週間前のこと。だが、同時に昨年のことでもあり…迷った挙句、結局、ジャンルを「回想」に設定したが、そう古い話ではないのであしからず。(^^;

さて、12月22日に開通した首都高速 中央環状線(C2) 山手トンネルである。
この大晦日、実家へ帰る際に早速利用してみた。

これまでは、自宅から最寄りの7号線に乗り、都心環状線(C1)を抜けて、実家のある4号線方面に、というコースが定番だった。途上には箱崎JCTをはじめ、渋滞ポイントが点在する。
これが、自宅から中央環状線(C2)に乗りさえすれば、少々遠回りでも4号線(しかも新宿の先)に直接出られる、となれば、時間短縮の期待を持てるわけである。

で、その結果は・・・・

予想通り早いのよ、これが。(^^)v
都心を抜けるよりも確実に10分以上は早かったと思う。
距離は10km以上長いはずなのに。

中央環状線には、渋滞らしい渋滞は全くなく、スイスイ。
山手トンネルは、新しいだけあって、きれいで明るく走りやすかった。
こういうトンネルならもう少し長くてもいいなあ、と思ったほどである。
これは今後も使えそうだ。(^^)(^^)(^^)

*********

余談だが、このときのカーナビの動作がなかなか愉快であった。

当然、山手トンネルの開通情報はナビにはインプットされていない。
中央環状線の新開通部分に入った途端、考え始めた。(笑)
しばらくして、どうやら一般道の山手通り(環状6号線)を走っていると判断したらしい。
カーナビの画面上は、山手通りを高速で疾走する怪しいクルマになってしまった。
こりゃ、完全にスピード違反だわ。(爆)

さらに、音声案内。
 300メートル先に右折専用レーンがあります。

ないない。(^^)(^^)
間髪いれず、カーナビにツッコミを入れるきりうと息子。(笑)

その後、4号線に入っても、しばらくは甲州街道(国道20号)を走っていると思っていたようで・・・
いや~、ナビくん、ごめん。



回想 | 投稿者 きりう 22:16 | コメント(0)| トラックバック(0)

親の期待、子の興味

相方とテニス談義になると、よく言われるセリフがある。 あぁ、学生の頃からテニスやってればナー

しかし、学生時代からテニスをやっていたきりうにしてみれば、 おう、おかげで今の自分があるんだ、よかったぜ
となるわけでもなく、むしろ、 あぁ、もっと子供の頃からテニスやってればナー
などという、似て非なる感想を持っていたりするのである。これでは、話が噛み合うわけがない。(笑)

むしろ、学生時代は自分の意思でテニスをやろうと決められたわけで、それをしなかったのは自業自得。
対して、幼少の頃からテニスに触れるかどうかは、一にかかって親の問題である。
よって、きりうの嘆きの方が、相方のそれよりもより深いのである。違うか。(^^;;;

現実問題として、現代の世界のトッププロは、3歳とか5歳からラケットを持っていた者がほとんど。
すなわち、スタートラインには立たせたのは親である、というのは紛れもない事実である。

さすれば、我らが息子にもチャンスを、とばかり、2歳からラケットをもたせてみたが・・・
今のところは、少なくとも「世界を目指す」というカンジではない。(^^;
周りにはもう大人顔負けのボールを打っている同い年の子供もいるのだけどね。

どうも、「いろいろやらにゃいけないことの一つ」くらいにしか思っていない様子。ちょいと残念である。
息子の興味は、どちらかというと野球のほうにありそうだ。
ま、男の子だし、それもアリではあるのだが。

*************

思い起こしてみれば、きりう自身もそうだったと感慨にふけるわけである。

実は、きりうは小学生の頃、トランペットを習っていたのであった。
当時、ピアノを習っている人は結構いたと思うが、トランペットを習うというのは割と珍しい部類ではなかったろうか。

今にして思うのだが、これは子供のうちから楽器に触れさせておくことで、大きくなってから後悔することがないように、という父の配慮だった気がする。

一方で、父は、きりうに自衛隊やら警察やら消防やらの音楽隊に入ることを期待するような発言を時々していた。
もしかしたら、自分がそうしたかったのに楽器の才がなくて断念したなどの事情があったのかもしれない。

しかし、当時のきりうは、トランペット自体は嫌いではなかったものの、それで身を立てる気などさらさらなく、興味はもっぱら野球にあったのだった。(小学校の卒業文集には、将来の夢として、堂々とプロ野球選手と書いてある。中学で野球部に入らなかったヘタレであるにもかかわらず、だ。ちゃんちゃらおかしいぜ。)

親の期待と子の興味。
それは一致しないのが普通なのかいな、などと思う秋の夜長なのであります。

********************

さーてと・・・寝るかな。


回想 | 投稿者 きりう 23:59 | コメント(0)| トラックバック(0)

クルマ


首都圏出身のきりうであるが、実家は、新興住宅街に古くからあった家(先住民?)であり、鉄道などの公共交通機関の便が良かったとはいえないところにある。

そのため、就職してまず欲しかったのがクルマだった。
入社1年目の夏、購入したのは、ホンダ・シビックの4ドアセダンの中古。
うれしくてあちこち走り回ったのを覚えている。湘南の海が多かったかな。
今考えると、よくあんな渋滞の中に好き好んで突っ込んで行ったと思うけど。(笑)

ところが入社3年目、勤務先のビル移転が決まり、片道の通勤時間が2時間近くなることが判明すると、都内にアパートを借りて、憧れの独り暮らしを始めることにした。
当然、3年目の若造の給料では、アパート代のほかに駐車場代まで賄うことは無理であり、また、ちょうど車検が迫っていたこともあって、シビックセダンは父親の知人に売却した。

独り暮らしは快適だったが、ほどなく、パラグライダーにハマった。
当初は、誰かのクルマに相乗りでスクールに連れて行ってもらっていたが、ハマり始めると人数調整やら待ち合わせの連絡やらが頻繁になり、一気に面倒くさくなった。
そして再び、クルマを持ちたいと考えるようになった。

そのために、経済面をなんとかしなければいけない。
会社の寮に入ることにした。23区内のアパートから、埼玉県朝霞市に都落ちである。




買ったのは、新車の日産・アベニール。
パラグライダースクールのある長野県木島平村まで、片道250kmをひた走った。
毎週毎週オドメータが500kmずつ増えていくのは壮観だったなあ。

相方と知り合った後のデートにも活躍したし、結婚後も乗っていた。
婚約時代、新婚時代の一番甘い時期を共有したクルマだった。


息子が生まれ、乗り降りの楽なクルマがいいね、と夫婦で話し合って買い換えたのが、トヨタ・ラウム。
スライドドアは実に楽だった。息子の幼少時代はラウムとともにあった。

相方はずっとペーパドライバーだったのだが、このラウムで運転をするようになった。
アベニールよりも排気量が小さくなったが、小回りが効いて相方も安心できたようだ。
6年ちょっと乗ったんだったかな。




今のわが愛車、日産・ティーダ。
Compact meets Luxuary. である。

息子も小学生になって、もうスライドドアじゃなくても大丈夫だろう、ということで、このスタイリングに一目惚れしたきりうが、「まだラウムでいい」という相方を何とか説得して購入に成功したのは、2年前。
でも、今じゃ相方の方がこのクルマ気に入ってんじゃないの?というほどである。

さて、週末はどこを走ろうか。




回想 | 投稿者 きりう 23:46 | コメント(0)| トラックバック(0)

運動会かぁ

息子は足が速い。
去年もそうだったが、今年も、運動会の華、リレーの選手に選ばれたそうである。
ビデオ係としてはやりがいがある。

子供の頃のきりうは、速くも遅くもなかった。
クラスでちょうど真ん中ぐらいで、徒競走本番では、2等、3等あたりをウロウロ。
極めて平凡である。

この違いを説明するのは簡単だ。
相方のDNAにある。
彼女もずっとリレーの選手だったらしいからね。



運動会できりうが思い出すのは、
「予定通り本日開催」を知らせる、朝の花火音。
両親や弟と一緒に食べた、お昼のお弁当。
スタートのピストル音。

競技の思い出が・・・ないのは、なぜだろう?(^^;



息子の運動会は、今月末である。



回想 | 投稿者 きりう 23:03 | コメント(0)| トラックバック(0)

空も飛べるはず

・・・といっても、スピッツの代表曲のことではない。
ゴールデンウィーク2日めの素晴らしい晴天を見ながら思い出したこと。

干支がひと回り以上前、つまりもはや前世紀のことだから大昔であるが、その頃きりうは、空を飛んでいた。(^^)v
高校時代の友人に誘われて、長野県は木島平のパラグライダースクールに通っていたのである。




・・・

高校で軟式テニス(現在のソフトテニス)をやり、大学では硬式テニスのサークルに入ってバブルを謳歌していたきりうは、大会などでもそこそこ勝ったりしていたから、それなりに真剣にやり続ければ、テニスで結構イイところまでいけたりするんじゃないかという錯覚を起こしていた・(^^;;;;
そんなわけで、会社でも実業団テニス部に一瞬所属してみたりした。

ところが、テニスがそんな甘いもんであるはずがなく、特に実業団の上位ってのは、全くの別世界だったのだ。(その上にプロがあるのだから、本当にとんでもない世界だ。)
体育会等で学生時代から厳しい環境に身を置いていたら、もっと早くに気づいたのだろうが、きりうはサークルなんぞでチャラチャラやっていたから、身の程を知るのが遅れてしまったというわけだ。







・・・

そんな、傷心というほどではないが、以前よりもテニスに身が入らなくなっていた頃に、空を飛ぼうというお誘いがあったのである。
ま、いいか、というぐらいの軽い気持ちで始めたのだったが・・・見事にハマった。(^^;

空中を浮遊する感覚がなんともいえず心地よい。

サーマル(熱上昇風)を捉えて、テイクオフ(離陸地点)よりも高く舞い上がる。
トンビと一緒に、右へ左へ。
狙い通りの場所にランディング(着地)がピタリと決まる。心の中でガッツポーズ。








・・・

木島平は、冬季はスキー場である。
スキー場ではあるが、パラも飛べる。雪山を飛ぶのは格別だった。



放蕩の限りを尽くした(?)独身時代。(^^;




・・・

結婚してからは一度も飛びに行っていない。

相方がテニスを始め、夫婦で一緒に遊べるレクリエーションができたからだ。
相方が腕を上げて、区民大会や草トーナメントに出るようになると、自分も再び戦闘モードになり、試合に出るようになった。

そうして、空を飛ぶ楽しみからは自然に遠ざかった。

・・・

もう一度、飛ぼうとは思わない。
それはきっと、今では守るべきものができたからだろうと思う。
あの頃は、一種のトランス状態だったのかもしれない。

でも今日はなぜか、青春のあの頃を思い出してしまった。
やはり、青空は不思議な魅力を湛えているような気がするのだ。


・・・


#おまけ
 あの頃は、今より10㎏痩せていた。(_ _;


回想 | 投稿者 きりう 22:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

彼は会社の2年後輩だった。
面白くて、スケベで、飲むとなぜかよく脱いだ。 尾崎豊とサッカーが好きで、歴史が得意で。
ナショナリズムと自衛隊を語らせると止まらなかった。

彼とは同じ仕事を一緒にしていた時期がある。 彼がきりうの後任含みで同じ職場に異動してきたからだ。
だから、彼には引継ぎを兼ねていろいろと仕事を頼み、勉強してもらった。
電話の声がきりうと似ていたらしく、お互いに部外の人からよく間違われた。

彼は大変頭の良い男だったから、仕事の飲み込みも早かった。
安心して後事を託せると思った。

・・・・・・・

ところが、ある日、彼は「会社をやめる」と宣言した。
彼曰く、自分自身を見つめ直した結果です、本当にやりたいことを見つけたのです、と。
そうして全く違う業界の全く違う仕事をするために、彼は会社をやめていった。

おかげで、きりうの人事異動はしばらく凍結になり、その結果、異動先も変更になった。
変更になった先で、成果重視の人事制度設計をやることになった。
そういう意味で、きりうのキャリアの転機は、彼がもたらしたと言っても過言ではない。

・・・・・・・

彼とは、会社をやめた直後、何度か会う機会があった。
自分がやりたいことを、自分の力で選び取った男は輝いていた。
そんな彼と最後に会ったのは、確か息子がまだ相方のお腹の中にいた頃のことだった。

その後、だんだん疎遠になっていった。
ともに仕事が忙しかったから、仕方がないことだ。
風の便りで、ちょっと違うポジションに移ったという話も耳にしたが、彼ならどこでもがんばるだろうと思った。
きりうの頭の中では、彼はいつでもエネルギッシュなのだ。

・・・・・・・

その彼が、亡くなったという。
彼と同期入社で、彼の代わりにきりうの後任を担った男が、この突然の訃報をメールでよこした。
今日が通夜、明日は葬儀。
死因その他、詳しい経緯は一切わからない。

やりたいことを選んだ彼の人生は、最期のその時を迎えるまで、充実したものだったろうと思う。きっと、必ず、絶対に。


ご冥福をお祈りする。



回想 | 投稿者 きりう 23:45 | コメント(0)| トラックバック(0)

他律的な日記・自律的な日記

書き始めて3日、慣れないものだから早くも手詰まり感がある。w
ここで終われば文字通り3日坊主である。

だが、きりうの人生において、日記を書き続けていた時代は確実に存在した。
それも、約3年の長きにわたってである。

きっかけは、他律的であった。
なんのことはない、中学1年のときの担任教師が生徒との交換日記を提案したというヤツである。
担任は、確かまだ教員になって2年目の、保健体育の先生だった。
余談だが、2年目だったということは、当時まだ24歳くらいだったはずで、純情な中坊には憧れの「年上の女(ひと)」となる可能性も十分だったはずだが、記憶の中の彼女は、いつもジャージ姿でガハハと笑っている。
残念ながら(?)、どう転んでもそういう方向に話が発展することはない。

さて、はじめて担任のクラスを持った彼女としては、生徒一人ひとりの性格や考え、率直な心情などを知りたかったということが動機だったのだと思う。
最初はクラスの殆どの者が提出していた「先生との愛の交換日記」も、果たして、時間が経つにつれて提出者は減っていった。進級直前の3月まで継続していたのは、きりうを含め総勢8人。

終業式の日、その8人に彼女は言ったのだ。
「日記をつけ続けてくれたみんな、ぜひ、続けて欲しい。毎日文章を書くことは、きっとみんなの力になる。仮に中学卒業まで続けられたら、大きな財産を手にすることになるのよ。」

しかし、中坊のきりうたちにその真意は届かなかった。
「続けられたらさ、センセー、オゴってよ。ハンバーガー。」

かくして、きりうはハンバーガーにタダでありつくことを目標に、来る日も来る日も、卒業まで日記をつけ続けたのであった。そう、あれは地元で初めてマクドナルドが出店した頃のことである。(遠い目)

時を経ること、およそ四半世紀。
今、きりうは自律的に日記を書き始めている。
ハンバーガーは、メタボリックになるリスクを考慮し、極力、避ける。

時は流れる。

回想 | 投稿者 きりう 22:40 | コメント(0)| トラックバック(0)