2009年10月05日
オヤジ化するテニス
普段、一緒に練習している人は同世代以上のことが多い。
若い頃に知り合った人は、そのまま一緒に歳をとっていく。
新しく下の世代の仲間を増やさぬ限り、集団が高年齢化するのは当然である。
ワタシ自身、ヒトの顔を覚えるのがあまり得意ではなく、誰とでもどんどん仲良くなるというタイプではない。
徐々に徐々に、知り合いを増やす。それがきりうスタイル。
思えば、「知り合いの知り合い」は元の知り合いと同世代なことが多く、そういう形でテニス仲間を増やしてきたワタシに、若い知り合いがあまり増えなかったのは、当然のことなのだ。
(「少し」若い知り合いなら、かなりのボリュームでいます。ココで言ってるのは一回り二回り違う世代のことですので、念のため。そうそう、アナタのことじゃないです。笑)
さて、昨日の市民大会、そして団体戦前後の練習、さらには2日前のスクールで、若い世代のボールを久しぶりに多く味わい、ふと思ったことがあった。
それが、今日の記事のテーマなのである。何かというと・・
う~む、オレのボールはいつからこんなに遅くなった?
かつてのワタシのセールスポイントは、スピードボールだった。
軟式上がりのフォア、強肩を活かしたサーブ、スマッシュ。
少々コントロールが甘くても、相手が振り遅れてミスってくれる、というポイントがかなり多かった。
今思えば、かなり野蛮なプレイスタイルだ。そんな奴とはあまりやりたくねーな。(笑)
それが、若者に混じってみた昨日、ワタシのショットは相対的なスピードとして明らかに遅い、と感じた。
普段の(同世代以上での)練習では、まだ速いボールを打つ方に分類されている(と自分では思っている)ため、あまりスピードの衰えをはっきりとは意識しないで済んでしまっていたようなのだが、確実にパワーは減衰していたようだ。
今までも何とはなしにそんな気がしていたのだが、このようにはっきりとした違いを感じたのは、実は昨日が初めてだったかもしれない。
当たり前だが、これが体力的な衰えというやつなのだね。
対して、昔よりテニスが弱くなっているかというと、おそらくそんなことはない。
プロのように、体力の衰えが直接成績に響くほどのレベルではない我々のような市民愛好家は、技術やメンタルなどの強化で十分にカバーできるのだろう。
そういえばワタシ、昔はヘタクソだった小技をいつの間にか多用していたりする。(ドロップボレーがその典型。)
シコって粘るシングルスなんて、「目指せエドバーグ、華麗なサーブ&ボレー(古)」といってた学生時代にはあり得なかった戦術だ。
でも、今、シングルスをやれと言われると、相当な実力差がない限り、十中八九、シコると思う。
人間、変わるものですね。
こうして、テニスはオヤジ化していくのだ。
貴重なプロセス、よく認識しておこう。
意外と深遠なテーマかもしれないな、コレ。
若い頃に知り合った人は、そのまま一緒に歳をとっていく。
新しく下の世代の仲間を増やさぬ限り、集団が高年齢化するのは当然である。
ワタシ自身、ヒトの顔を覚えるのがあまり得意ではなく、誰とでもどんどん仲良くなるというタイプではない。
徐々に徐々に、知り合いを増やす。それがきりうスタイル。
思えば、「知り合いの知り合い」は元の知り合いと同世代なことが多く、そういう形でテニス仲間を増やしてきたワタシに、若い知り合いがあまり増えなかったのは、当然のことなのだ。
(「少し」若い知り合いなら、かなりのボリュームでいます。ココで言ってるのは一回り二回り違う世代のことですので、念のため。そうそう、アナタのことじゃないです。笑)
さて、昨日の市民大会、そして団体戦前後の練習、さらには2日前のスクールで、若い世代のボールを久しぶりに多く味わい、ふと思ったことがあった。
それが、今日の記事のテーマなのである。何かというと・・
う~む、オレのボールはいつからこんなに遅くなった?
かつてのワタシのセールスポイントは、スピードボールだった。
軟式上がりのフォア、強肩を活かしたサーブ、スマッシュ。
少々コントロールが甘くても、相手が振り遅れてミスってくれる、というポイントがかなり多かった。
今思えば、かなり野蛮なプレイスタイルだ。そんな奴とはあまりやりたくねーな。(笑)
それが、若者に混じってみた昨日、ワタシのショットは相対的なスピードとして明らかに遅い、と感じた。
普段の(同世代以上での)練習では、まだ速いボールを打つ方に分類されている(と自分では思っている)ため、あまりスピードの衰えをはっきりとは意識しないで済んでしまっていたようなのだが、確実にパワーは減衰していたようだ。
今までも何とはなしにそんな気がしていたのだが、このようにはっきりとした違いを感じたのは、実は昨日が初めてだったかもしれない。
当たり前だが、これが体力的な衰えというやつなのだね。
対して、昔よりテニスが弱くなっているかというと、おそらくそんなことはない。
プロのように、体力の衰えが直接成績に響くほどのレベルではない我々のような市民愛好家は、技術やメンタルなどの強化で十分にカバーできるのだろう。
そういえばワタシ、昔はヘタクソだった小技をいつの間にか多用していたりする。(ドロップボレーがその典型。)
シコって粘るシングルスなんて、「目指せエドバーグ、華麗なサーブ&ボレー(古)」といってた学生時代にはあり得なかった戦術だ。
でも、今、シングルスをやれと言われると、相当な実力差がない限り、十中八九、シコると思う。
人間、変わるものですね。
こうして、テニスはオヤジ化していくのだ。
貴重なプロセス、よく認識しておこう。
意外と深遠なテーマかもしれないな、コレ。